20代の苦悩【ブラック企業激闘編⑤】

天邪鬼な考察
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こんにちは、escapeです。

少々、間も空きましたが前回の記事はこちらから。

ようやく、色々な会合に顔を出すことで自分なりの営業手法

できつつありました。多い月は、月に1000枚ほど名刺を交換

していたような時期もありました。とにかく、人に会うのが

仕事のようなものですから沢山会えばそれだけチャンスも広がる

と考えていました。また、そういう会合というのはどこか会社を

立ち上げたばかりとか、事務所を開業したばかりなんて方も多く

いたのを覚えています。そこで、出会った方で今では年商何十億円

の社長になったような人もいました。やはり、そういう人は今思えば、

1人で立ち上げた時から、どこか輝くものはありましたね。

そして、自分のネットワークや保険会社自体も色々子会社などもあるので

様々な仕事を振れるようにもなってきました。当然、紹介がうまくいけば

そこから保険の話になる事も多く、そのような活動をメインにしていました。

とにかく、多く名刺交換してもお互い顔や会社を覚えられる事はほとんどないのです。

そして、日常のルーティン的に翌日、名刺交換をした人の名刺を整理して

ハガキでお礼状を手書きで出していました。そして、それが到着する頃電話連絡をすると

覚えてもらえたり、ハガキのお礼を言われたりなどしました。若い割には、礼儀正しい

思われたのかもしれません。今でしたら、メールなのでしょうが・・。そして、先方に

「会社の事業内容を詳しく知りたく、紹介ができる先もあるかもしれないので1度お話できま

せんか」という形で、アポイントをとります。大体、この流れで再度お会いする事は難しくは

ありませんでした。今、このように書くと比較的に簡単に思うかもしれませんが、ここに

辿り着くまでには、私も色々試行錯誤をしました。それこそ、「営業をしてくるな」なども含め

うまくいかなかった事は多々あります。

その結果、会合で会った場合の営業の導線をつくるまでのノウハウが自分に積み上がった

ように思います。何でも、ノウハウだけを聞きたがる人もいますが、自分なりにあみだしていく

という作業は、何事においても重要だとは思います。

というように、このような活動を続けながら法人の大型契約なども少しずつとれる

ようになり、なんとか目処がついてくるようになってきました。

当時が起業ブームという訳ではありませんでしたが、一定数独立や起業される

人達がいるんだという事をこの頃はボンヤリ思っていました。

そして、先程の社長ではないですがやはり、それなりに成功していた人達は

どこかバイタリティがあったようにも思いましたね。明確に何かとは言えませんが、

雰囲気というかオーラというか、どこかうまくいく要素が秘められていたのだと思います。

紹介をしてくれた社労士さんも、ご自身でこの資格で独立して事務所を維持できる人は

1割いるかどうかなどと話をしてくれたこともありました。その方も、営業も含め熱心に

動いていましたね。当時であれば、まだ弁護士や税理士であれば看板あればという資格も

なくはないでしょうが、現在では資格だけ有して食べれるものはほぼなくなってきて

いるのではないでしょうか。そして、当時はネットも普及していない時代なので、

それこそ電話帳に広告を載せるなどアナログ的な手法も多かったように思います。

そんな事もあってか、ようやく保険の研修期間の2年も終える時期になり卒業と

なりました。代理店の部屋と研修の部屋は、同じフロアにあるのですが、基本的に

接触禁止という慣例がひかれていました。私も卒業する頃、すでに研修所から卒業

した人に話を聞く機会もありました。当初描いていたバラ色まではいかないまでも、

相当に厳しい部分があるというのは気づかされました。出社義務は基本週に1回だけです。

それも午前中だけです。そして、研修の時のようなノルマや怒鳴られるなどという事も

なくなります。一応、年間でいくらかの最低のノルマ的なものはあったような気がしましたが

ほぼない状態です。では、何が厳しいか。「収入」です。このような環境にいると、何も

縛りがないので、結果やる人はやるし、やらない人はほとんどやらないとなります。

そして、やらなくなるとこの週に1回の出社も来なくなる人がでてきます。気がついたら、

いなくなっていたという事も多くあります。また、この会社では辞める時は出社日以外の

日にきて、荷物を片付けほぼ周りに挨拶する事もなく辞めるというのが暗黙のルールでした。

この辺は、外資系の金融会社なども似たような対応のように聞いた事はあります。

いずれにしても、私も研修所に入った時には卒業できるかどうかもわからず、振り返ると

長くもあり短くもあった2年間でした。どこか、刑務所の出所に近いような思い(私自身は

入った事はないですが)で研修を終えたのを覚えています。

研修所には相変わらず、新しい人が入れ替わりできていましたが、どこか当時の私もそう

でしたが、卒業する人を「羨望の眼差し」でみているところもありました。

とはいえ、皆さん「バラ色ではないんだよ」と心の中でつぶやきながら、研修所を

あとにしましました。~つづく~

 

 

 

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