思い出のダービーPART1

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こんにちは、escapeです。

今週は、いよいよダービーがあります。

やはり、全てのホースマンが目標にしているレースでもあり

馬にとっても1回限りのレースです。

そうした、緊張感の中で行われるダービーというのは

独特の雰囲気があり私も競馬を始めて買わなかった事が

ないレースでもあります。どんなにお金がなくとも、このレース

だけは必ず買い続けていました。

そんなダービーは思い出も多くあるので、今週はその中でも印象深い

レースをいくつかご紹介をしましょう。

私が、競馬を始めた時の最初のダービーが印象深かったです。

まだ、競馬の奥深さや予想などもよくわからずに買っていた時です。

1990年のアイネスフウジンの勝ったダービーです。そして、競馬場に

はじめて足を運んだのもこの時でした。これは、今も入場人員のレコード

になっていますが、この時のダービーは19万6000人と20万人近い人が

きていました。まだ、入場制限などもなく当日の入場券で確か入れた

記憶があります。とにかく、激混みという事だけは印象にあります。

アイネスフウジンという馬は皐月賞を1番人気になり2着という内容でした。

現在は調教師になっていますが、中野騎手が乗っていました。中野騎手は

25年ほど騎手生活をしていましたが360勝ほどでお世辞にも名ジョッキー

といわれる勝利数でもありません。それまでは、あまり勝てない事から酒などに

にもおぼれていたようです。調度引退する5年前にアイネスフウジンと

出会ったようです。そして、朝日杯をアイネスフウジンではじめてG1レース

勝つことになります。そして、迎えたダービーは3番人気でした。

アイネスフウジンは、逃げ馬なのでダービーを逃げ切るのは難しいと思われた

ところでの人気でした。私は、アイネスフウジンの単勝を1万円賭けていました。

競馬をはじめた頃は、枠連と単勝、複勝の3種類しか馬券がなく、最初の頃は単勝ばかり

を買っていたように思います。そして、これだけの人数がいる中ファンファーレが鳴り

ゲートにおさまりスタートまで一瞬の静寂があります。そこが何とも言えないところでも

あり、最近の無観客競馬となるとそのような雰囲気がないのが残念です。

当時は22頭立てという中アイネスフウジンは、スタートから逃げに入り終始先頭を

走っていました。いわゆる、サイレンススズカなどと違って、大逃げという形ではありません。

それでも、先頭から4コーナーでは並びかけられるシーンもありますがそのまま振り切り

ダービーレコードで勝ちました。ウイニングランでは「中野コール」が場内に響き渡り

ました。競馬場でコールがされたのは、これがはじめてという事ではあります。

調度、武豊や横山典がでてきた頃で、JRAも若手の活躍に皆、目を奪われる時期でも

ありました。そんな中、中年のあまりさえない騎手の活躍がこのコールを呼んだの

かもしれません。

アイネスフウジンはその後ケガで引退しており、このレースが最後のレースとなりました。

単勝は530円でしたが、馬券も当たりその後友人と飲みに行ったのを覚えています。

このアイネスフウジンという馬は、馬主にもエピソードがあります。

馬主は自動車関連の用品を扱う会社の代表が馬主でした。馬主になって2年という期間

ダービー馬を持ってしまったというかなりの幸運な馬主でありました。

馬主自身も「こんなに幸運があって良いのだろうか」と言っていた位でもあります。

しかしながら、この8年後に事業が傾き仲間の会社とお金を融通していたようですが、

結果資金繰りがつかず、仲間とホテルで自殺をはかって死去されたという衝撃の結末に

なります。清水一行氏の「風の神様」という小説の題材になったとも言われ、私も当時

この小説を読んで衝撃を受けた覚えがあります。

時代的にもバブルが終焉し不況に突入していく時代でもありました。

以前ブログの記事に書きました。

人の運というのは、ある程度決められた部分があるという内容です。

まさに、この馬主は短期間に「栄光と挫折」を味わう事になったのでは

ないでしょうか。私の競馬スタートの初ダービーでもあり、非常に思い出深い

レースとなりました。

 

 

 

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