こんにちは、escapeです。
5月という事もあり、新入社員ですでに会社を辞めてしまった
という人もいるのではないでしょうか。そのような記事を
よくみかけます。
以前、ホリエモンが「寿司屋に修業は必要がなく、そのような指導を
してくれる学校に行き、すぐ握る練習をすべき」というような発言を
して炎上した事がありました。勿論、効率だけを求めるのであれば、
それもない話ではないとは思います。
しかしながら、いわゆる色々な職人的な仕事はやはり10年ほど下積み
生活を経てようやく1人前のところもあります。
それは、仕事をする上での土台や基礎的な部分をそこから学んでいくから
だと私は思います。いわゆる、仕事への取り組み姿勢や考え方など。
勿論、皿洗いやお店の掃除をしていてもお寿司を上手に
握ることとは直接は関係がない事ではありますが、そこでの経験がきっと
活きる場面がでてくると思います。そのような事を言うと、精神論だという
事もなりますが、色々な事を経験する事で本筋に活きるという事は何事も
多くあり、それまでに断念をしてしまうのはやはり「持続力の欠如」に
なるのでないでしょうか。サラリーマンでも、理不尽に意味のない仕事も
多くふられるでしょう。しかしながら、その辺を通過して10年、20年働いて
いる人というのは、仕事における「基礎部分」が私は構築できてるのでは
ないかと思います。よく、お笑い芸人なども1発屋的に出てくる人も多く
いるでしょうが、やはり長く芸能界にいる人というのはどこか売れない期間の
下積み時代をそれなりに経てやっている方の方が多いように思います。
いきなり、売れた人がずっと継続的に売れているような人はあまり見ないと思います。
少々、このような考え方が昭和なのかもしれませんが、、。
以前、作家の伊集院静氏が「すぐ役に立つものは、すぐ役にたたなくなる」と
言っていたことがありました。これは、効率重視で考えた時の欠陥を言っている
ように思います。そして、「寿司屋に子供をつれていくな」という話も以前していました。
それは、一定の修行を経て握って出されるものをよく味もわからない子供が食べるのは
不適格だと言っている事なのでしょう。いわゆる、お金をだせば何でもOKという事では
なく、受け手の側の品格というかマナーという事も言っているのでないでしょうか。
話は、少しそれますが、お店への「ありがとうございます」や「ご馳走様でした」という
事に対しての反対意見があるようです。ある人が友人とお店に行ったときに店員に出されたもの
に対して、その友人が「ありがとうございます」と言ったそうです。
別の友達は、お金を払って提供をされているのだからイチイチ「お礼」をいうのは
おかしいという話でありました。都度言うのかは、別にしてもそれはお金を払えば
何でも良い、お客様は神様だという視点から発せられる事ではないでしょうか。
これは、どこか顧客主義の延長からこのような考えが芽生えているのかも
わかりません。何かをしてもらった時にお礼を言うのは、私自身は違和感はないですが。
以前は、セルフレジなどは少なくお会計という合図が「ごちそう様」という時代で
私は、過ごしたのでその癖か今でもお店を出る時は「ごちそうさま」と言って店を
でます。
話は戻りますが、全ての行動が「得か損か」「メリットとデメリット」の2元論で
考えてしまうと「大切な事」に気づかず過ごしてしまう事になるのではないかと
私は危惧しています。従って、「下積みの期間」というのも無駄でないことが
多く含まれていると思います。競馬にしても、ハズレ馬券の中に色々な「反省」
が含まれているのではないでしょうか。それを振り返る事で、次回の的中に繋がる
部分というのは多くあるようにも思います。一見「無駄」の中にも「貴重な価値」
が隠されていると私は思っています。
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