恩師との再会 PART2

徒然なるままに
ポチっと応援お願いします!

最強競馬ブログランキングへ
PVアクセスランキング にほんブログ村

こんにちは、escapeです。

前回、恩師に10年ぶりに再会をしたお話を書きました。

前回の記事はこちらから。

なぜ、この先生が自分の恩師になったのかを話しましょう。恩師という

からには、自分の人生の岐路において影響を及ぼした先生であるという事です。

30年以上前の高校生の時の話です。当時、その高校は進学校でもなくどちらかと

いえば、落ちこぼれ的な人が進学する私立高校でした。中学時代は、部活を比較的

熱心に活動し勉強などはほどんどせず、部活の仲間と毎日過ごすような毎日でした。

当時、実家で飲み屋を経営していた自分の周囲には、勉強熱心な仲間はおらず

かといって不良しまくりという訳でなく中途半端な仲間が数人つるんでいました。

そんな折に、一番仲の良い友人の1人がすべり止めで受ける私立にこの学校を挙げ、一緒に

受験をしました。自宅からは1時間ほどありましたが、「まぁすべり止めだからいいや」

と思っていたら、肝心の公立高校が落ちその高校へ行く結果になりました。そして肝心の

友人は、中3時に学校を休みがちになっていた事もあったのか、その私立を落ちてしまい

最終、高校へは進学をしませんでした。結果、同じ中学からは私のみがその学校に通う事

となりました。以前も少々書きましたが、当時は鉄拳制裁は日常化しておりこのレベル

の高校は当然ヤンチャな生徒も多く、ほぼ入学してから1か月は毎日誰かしら注意を受け

殴られていた日常でした。私も決して例外でなく、殴られ全治1週間ほどのケガを負った位

でした。そして、決して家が裕福でない私が私立に通う事は、家の負担にもなりアルバイト

に明け暮れていた高校生活でした。そして、高校3年を迎える冬頃にある先生が声をかけて

きました。この先生こそが後の「恩師」であります。

英語の授業を担当していた先生でもありました。柔道部の顧問もされていて、当時は100キロ程度

はあったであろうガタイと頭髪はスキンヘッドにしていた先生でもあり、見た目も含め非常に

怖い印象の先生です。そして先生から「escape君、進路はどうするんだ、大学を考えてみないか」

と言われました。当時、私の成績は良いというよりあまりに周囲が勉強しなさすぎて、私も大して

勉強していないのに勝手に順位が上がっていくような状況でした。

普通にしていれば、優等生になる不思議な成績システムでした。当時、先生は若く指導に

やる気も持っていたので、成績が良さげな生徒10名ほどに声をかけていた模様です。

私も基本的には「専門学校」でも行こうかな位しか当時は考えていませんでした。

まだ4年制大学の進学率も3割も行かない時代でしたので、その流れはある意味当然でも

ありました。当時その高校の生徒数は1学年350名ほどいたと思いますが、大学に進学した生徒

毎年3、4名ほどでした。私の時で確か3名位でした。それも、名のある大学でもありません

そのような進学実績の高校で、「大学に行けるのか?」というのが正直なところでした。

最終的にそのような進言を受け取り、大学受験を目指しました。そして、学校には特に

推薦枠などもなく、基本的に一般入試の一発試験で行けというものです。

先生からは「escapeは、予備校に行くのか?」と聞かれ、「家あまりお金がないので、

いきません」と回答をしたところ、「じゃあ、このテキストで勉強を進めろ」と先生に

言われました。先生は浪人してW大学に進学していたのですが、「俺も浪人の時は、これで勉強

したんだ」とテキストの説明をしてくれました。そのテキストは、旺文社の「ラジオ講座」

というテキストであり、深夜にそのテキストの解説をラジオで放送をしていました。

解説している人は、当時予備校などでも人気講師の先生がそれなりにしていました。

「学校で年間購読を数冊しているから、それを1冊やるよ」と言われ渡されました。

また、「聴き逃した講座は、学校にカセットテープが送られてくるから

貸し出しもできる」と言われました。何から勉強を始めればわからなかった私は素直に

そのアドバイスに従いました。今では、ネットをググれば色々な勉強方法や参考書などの

情報は楽々手に入るでしょう。当時は、ネットがない時代にしかも進学校でもない学校に

大学受験の情報がある訳がありませんでした。先生の情報源だけが、唯一の受験情報でした。

当時は、気づかなかったですが恐らく先生もそれなりの進学校に通っていたはずです。

その人のレベルで一流大学に独学をすすめたやり方が、果たして何の勉強の下地がない

自分が真似てうまくいくのかどうか。

と今になれば思いますが、当時はとにかくその情報だけが全て

であり、鵜呑みにするしか方法がありませんでした。他の選択肢もアドバイスをくれる人も

いないからです。

最初にラジオ講座を聞いた時に衝撃が走りました30分程の授業でしたが、何を解説しているの

かが全く分からないのです。スピードも30分しかないとところでザっと説明する感じではあり

ました。翌日先生に報告がてら話をして「全く、何を解説しているのかわかりませんでした」

と報告したところ「予習はしたのか?復習は?」と聞かれ、「いえ・・。」という自信のない

返答に、「それで、できるわけねーだろうが!なめんてんのか!」と即答でお叱りを受けました。

「確かに・・」と思ったところで、予習、復習をしてみました。当時、高校の授業は

当たり前ですが受験レベルの事などを当然していなかったので、いきなり入試レベルのものを

前提知識もないまま聞いて理解できるほど私も理解力があるはずがないのです。

その日から、予習には色々調べていると1時間ほどつかいました。そして、復習も

カセットに録音したものを2回、3回聴いていると段々言っている内容がわかるように

感じました。「これか、先生が言っていたことは・・」と気づくのに1か月もかからな

かったと思います。とはいえ、高3の夏休み前まではライトなアルバイトもしていた

ので放課後図書室でバイトに行く時間まで多少勉強をして、バイトから帰宅して食事

やお風呂などを済ませた10時頃からまた夜中の2時、3時まで勉強をしていく日々が

続きました。最初は、予習復習に4,5時間かかっていたものも段々コツなども

わかり時間が短くなってきました。そして、たまに先生が声をかけてきて「どうだ、

聞けているか?わからないところは、もってこいよ」と気にかけてくれました。

しかしながら、この先生は変に調べないで質問するとかえって怒られるので、

この質問のタイミングも微妙に難しかったのを覚えています。そして、多分

2カ月もするとすでにこの講座を聴き続けている生徒は、半分以下に減っていたようです。

また、図書室で少々勉強していると周りの同級生などが冷やかしがきます。

「大学なんかうちの高校から無理なんだから、やるだけ無駄だよ」とか

「ハンバーガーでも食べに行こうぜ」などと邪魔者が多く現れます。

時間の惜しい私は「うるせーよ」「行かないから他の人誘って」などと

素っ気ない返事ばかりをしていました。学校自体が進学校でない場合、足を

引っ張るというか進学に向けた環境になっていないので、こういうものを断ち切り

ひたすら自分の世界に没頭してやっていくしか方法はありませんでした。

とにかく、周囲に流されないようにとその事ばかりが頭によぎり、完全「自分との

闘い」のゾーンにはいっていました。そんな、きっかで始めた勉強も徐々に力がついて

きたのがわかってきたので、モチベーションも保つことができました・。

~つづく~

 

 

 

 

 

\ランキング参加中/
ポチっと応援お願いします!
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 競馬ブログへにほんブログ村 競馬ブログ 競馬コラムへにほんブログ村 ベンチャーブログ 起業・独立支援へ

コメント

タイトルとURLをコピーしました