思い出の高松宮記念

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こんにちは、escapeです。

最近、競馬ネタもあまり書いていなかったので、本日は

今週行なわれる高松宮記念の思い出について書きます。

思い出というよりは、悲しき思い出という感じではあります。

私が、競馬を始めた1990年代初頭は、まだスプリントダート

G1というのは、そんなに格があるレースでありませんでした。

今ほど、G1レースがなかったのもありますがやはりクラッシク

古馬の天皇賞、有馬記念というのがG1の中でも格上に位置していました。

JCでさえ、まだ日本馬が少しずつ活躍し始めた時期で新設のG1程度の

イメージでもありました。ロードカナロアが勝ったあたり位から高松宮記念

の格も出てきたような気がします。

私が、競馬を始めた頃やはり強いと思えた馬は

ナリタブライアンでした。当時はシャドロールなんてものもブライアンで

初めてこういう馬具があるのだと知った位です。当時、ブライアンは臆病な

馬でもあり、自分の影にも驚いてしまう位でシャドロールをつける事になった

と当時聞きました。その後は、ご存知のようにシャドロールの怪物とも呼ばれ

ました。1990年代で3冠馬に輝いたのはこの馬しかいませんでした。そして

その後はディ―プまででてきません。そして3冠ともブライアンは強い競馬

まさに圧勝という感じでした。特に今はインをついたりなどありますが、大外

ぶん回しでもしっかり着差をつけての勝ちっぷりです。特にダービーなどは

5馬身差の圧勝でした。そんなブライアンも3歳時に有馬も勝ちましたが古馬

になりケガで成績不振に陥ります。しばし、低迷した時に伝説の阪神大賞典があります。

マヤノトップガンとのマッチレースです。ほぼ2頭で4コーナーから2頭の併走

状態です。杉本アナも「よみがえれブライアン」と実況したように1年ぶりの勝利でした。

どこか、一度ダメになった馬が復活するというのは、トウカイテイオーや

オグリキャップしかり印象深いところはあります。

正に私も蘇りたいような現状ですが・・、そこまで名馬でもなかったので

そこは置いておきましょう・・。

その後春の天皇賞2着から誰しも宝塚記念に向かうものと思っていました。

それが、突然の高松宮記念の出走です。いくら、叩きにしても春天の後にスプリント

というのは非常にローテーション的に調教師にも批判が集中しました。

当時の高松宮記念は5月に行われており、宝塚までは少々間隔は空いていました。

今では、春天から宝塚のローテーションもあるでしょうが、昔はあまり間隔を

空けない使い方でもありました。せめて、安田記念あたりでも良かった気も

しますが、どうも相手関係もあったようです。結果は4着でしたが、得意な

距離でないことを考えれば善戦でもあったでしょう。当時、テレビの解説を

していた競馬の神様大川慶次郎氏も批判的に話をしていました。

そして、さすがというか番組内で、このような無理をした使い方をすると

故障などに繋がらなければ良いというような注意喚起をしていました。

結果的には、予想よりもこの予感は的中し、屈腱炎を発症しこのレースを

最後に引退をしました。ファンも多かった馬でしたので、最後がこのような

不本意な形での使い方で引退というのは非常に寂しい限りです。なぜ、この

レースを使わないといけなかったのかというのは、その後も調教師からハッキリ

したコメントもなく闇に葬り去られた感じではあります。

そういう意味では、最近はイクイノックスはじめ引退する馬も有終の美を飾って

引退する馬も多く、そういう視点ではファン目線にだったような引き際にも

思います。あれだけの馬が、非常に残念な終え方をした高松宮記念というのが

私の思い出でもあります。

 

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