こんにちは、escapeです。
昨日、漫画家の藤子不二雄Ⓐこと安孫子素雄氏の訃報のニュースがありました。
以前、ブログにも書いたのですが、昨今私が子供の頃好きだった漫画家さん
が次々に亡くなられて非常に残念でもあります。勿論、今回の安孫子氏も
88歳と高齢ではあったのですが・・。
ちなみに相方の藤本弘氏はすでに20年以上前に死去はされています。
藤子不二雄といえば、誰もが知っている「ドラえもん」です。ただ、こちらは
藤子Fさん事相方の藤本弘さんが書かれていました。
たまたま昨年、トキワ荘の映画をDVDでふと観たところもあり、感慨深いものがあります。
この映画の記事についてはこちらをご覧ください。
もともと二人は富山県出身の同級生で漫画家を目指して上京してきました。
そして、手塚治虫氏の一部アシスタント的な仕事もしながら、トキワ荘で漫画を描き続けたのです。
デビューした時は足塚不二雄というペンネームでした。これは、手塚治虫氏の足下に及ばないという
ところから、足塚となったそうです。勿論、2人が漫画家を目指すきっかけは手塚治虫氏の憧れから
でもあるので、2人からしても神様的な存在だったのでしょう。
恐らく、当時2人で漫画を描いているコンビははじめてではないかと思います。通常、原作と作画
ということで別々に描く人もいますが、2人でというのは後にキン肉マンを描いた「ゆでたまご」
位しか思いつきません。いずれにしても、2人での合作自体は「オバケのQ太郎」位で、基本は
別々に漫画を描きながらもお互いがフォローして手伝ったりしていたようです。
基本、2人は性格も漫画内容もかなり異なっていたので、逆にそれが仲間割れをせずに長くできた
事ではないでしょうか。今回、亡くなられた安孫子氏は基本的には大人向けの漫画も描いており
有名なところでは「笑うセールスマン」ではないでしょうか。ブラックジョークを入れながら
描くのが得意でした。私がまだテレビでアニメが放送する前に漫画で見た時は「黒いセールスマン」
という名前でした。また、2人の漫画家として売れるまでを描いた「まんが道」もよく読んでいまし
た。こちらは、安孫子氏の漫画でもあり、トキワ荘時代の話もこれを読んで当時知りました。
そして、安孫子氏は社交的でもありテレビの出演などもよくしていました。
この辺は、藤本氏はあまり社交的ではなく、漫画もSFを中心とした子供向けが中心でした。
しかし、大人向けに描いた藤本氏の漫画で、SF短編集というのがあり当時中学生くらいの時に
読んで非常に面白かったのを記憶しています。私自身では藤子不二雄は、藤本氏の絵がすごく好き
ではありました。ドラえもんも確か、安孫子氏が描いている話も初期にあったように思います。
絵のタッチが違うのでわかった気がしました。安孫子氏は、忍者ハットリ君や怪物君などのヒット
もあるのですが、意外と藤本氏の方は少ない気がします。とはいえ、ドラえもんは大ヒットです
が・。ドラえもんも当初は日テレでアニメ化をしたのですが、原作と大分違ってアニメ用に作られ
不評で半年で放送が打ち切りになります。それに伴い、ドラえもんの連載も終わる予定ではあった
のですが、単行本になってから火が付きその後テレ朝で放送されてから大ヒットをしました。
同じ素材でも、見せ方で大分違うのでしょうね。従って、ドラえもんも売れるまでは少々時間を要し
たようです。やはり、丸というか円を軸にしたキャラクターというのは子供に受けるのでしょうか
ね。どこか、アンパンマンなどもそのような絵のタッチになっています。
私も子供の頃はコロコロコミックの発売が楽しみで仕方がありませんでしたが・・。
1980年代の中ごろ、2人はコンビを別れ別々に活動をしていきます。喧嘩別れではなく、表の理由は
漫画の作風なども違うので別々に活動となっていましたが、どうやら「ドラえもん」が原因でもある
ようです。コンビの時は、2人の稼ぎは基本折半にしていたようなのです。しかしながら、
ドラえもんが売れ始めたこともあり、この時点で藤本氏の方は体が弱くあまり長く生きれない
というのを悟っていたようです。そうした中、お互い結婚もしていて奥さん子供もいる事で、
その辺が後々揉めることを危惧して、生前中にそれぞれの作品で版権を持ち別れるという選択
をとったという説があるそうです。特に、安孫子氏もこの時点でお金がどうのという話はしていない
みたいです。安孫子氏においても藤本氏を天才と称していて、自分が漫画家になったのも彼に引っ張
られてという事が書かれていました。そういう意味では、2人がうまくいっていたのも、リスペクト
し合えている関係だから成立をしたのではないでしょうか。ビジネスでも大抵は、共同ビジネスとい
うのは、失敗の典型であります。儲かっても配分で揉める、赤字なら損のなすり合いで揉める
という事です。ただ、2人にはあまり有名になったアシスタントなどは少ないようであまり弟子など
は受け入れていなかったのかなと思ったりもしました。
いずれにしても、作品は日本のみならず世界の方にも羽ばたいているところもあります。
永遠に2人の作品が残る事を望んでいます。ご冥福をお祈りします。
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