こんにちは、escapeです。
昨日は、定例的な飲み会でもありました。
先週から5類に変更になったコロナでありますが
飲み屋にあったアクリル板も大半撤去されたように
思います。非常に狭い飲み屋でも以前はアクリル板
があり、飲みずらく効果もほとんどないようにしか
映りませんでした。お店に行くと体温をはかられ、
アルコール消毒を強要され席につくとアクリル板に囲まれ
酒を呑むという感じです。今考えれば、異常な光景にも
思います。本日は「同調圧力」について考えたいと思います。
同調圧力から習慣化へ
先程の飲み屋でいえば、右向け右という感じでどの飲食店も
同じような対応になっていました。私は、今週からマスクの
着用は基本しないようにしています。確か、3月位から基本
政府方針でもマスクの着用は任意という流れがありました。
ただ、実際電車など見渡すと1割ほど位しかとっている人は
いなかったように思います。ただ、時期的には花粉症の関係
などもあるのだろうと私も考えていた部分はあります。
そして、この5類に分類を下げた今のタイミングでもまだ
していない人は3割位ではないでしょうか。私は、単純に気温も
上がってきて息苦しくもなるので着用を辞めました。
そもそも、マスク自体の効果も色々言われていた部分もありますが、、。
恐らく、この夏のタイミングで外せない社会となるとずっと着用
するのが常識みたいな空気になるのが嫌ではあります。
実際、世界でみても律義に着用し続けているのは日本だけになっている
状況です。世界的に見れは、外すのが当たり前の中で日本だけ着用して
いるというのは、同調圧力に屈していない構図でもあります。とはいえ
日本国内で着用をするというのが同調圧力でもあったりもします。
確かに3年もこのような事を続けていると「習慣化」してしまい、とる
こと事態に違和感がでるかもしれません。ある意味、下着のような存在
に、もはやなりつつあったりもするのではないでしょうか。
3年前に違和感のあったことが、時間と共に慣れてしまい逆にない事に
違和感をおぼえるというのが「習慣化」の怖いところではないでしょうか。
同調圧力と「個」の関係
そもそも、同調圧力とは「少数派」の意見や考えに対して「多数派」に
よる圧力でそちらに考えを合わせていく「暗黙の了解」という感じで私は
理解しています。このブログのタイトルのように、少数派の考えを持つ事
で「天邪鬼」というように周囲から見られる事でもあります。
競馬から学んでいる事といえば、常に「人気馬」という多数派に対してどのように
向き合うかという事が重要でもあります。とはいえ、私も何でも人気馬を
疑い消して買うという買い方はしません。ただ、どこに同調しどこに疑うかという
事は競馬では良い勉強になるのではないでしょうか。人気馬ばかりを買って
競馬で勝つことは難しく、かといって穴馬ばかりを狙い勝つことも難しいのです。
この辺のバランスが非常に奥深いところでもあります。
日本社会というのは昔から他国に比べ同調圧力が強いというイメージ
で言われています。その分、個性に欠けていたりする事が現在の競争社会で
不利にはたらいているというものです。どちらかといえば、全体型プレーな
どで結果をだしていく国ともいわれています。これは、サッカーも野球なども
そうでしたが、やはり「個」の力が不足していると最終的には大きな壁を突破
するのは難しくもあるのでないでしょうか。以前、サッカーの本田選手もその
ような事を言っていました。今では、野球でも大谷選手のような個性的な選手
がでてくることで、やはり活躍をしているのだと思います。大谷選手の「二刀流」
は本来「常識外」の考えではあるのです。それをメジャーでも実現するというのは
流石というところでしょう。しかしながら、恐らく大谷選手も色んな人から
二刀流を否定され、どちらかを中心に指導をされていたことは期間もあったはずです。
同調圧力からの脱却
高度経済成長の時代では、皆が同じベクトルを向いて進む事での
パフォーマンスはでたのでしょう。しかしながら、現代のような
状況では、通用しなくなっているフェイズでもあります。
ある意味SDGsでさえ、多様化であったりLGBTではないですが少数派
に対するベクトルの流れがあります。
同調圧力の高い部分であれば社会よりも「会社」という組織が一番
顕著ではないでしょうか。基本的には、事なかれ主義的に社長の
考えや組織に賛同していく流れがあります。それにより、不祥事なども隠蔽
されるような事も多くあります。権力、力のあるものに対して物を言うという
のは勇気のいる事です。しかしながら、今の時代少々尖った部分が求められて
いるはずです。以前の「半沢直樹」というドラマが大ヒットした背景には、やはり
自分ではそのように動けないというサラリーマンの憧れのような行動になった
からではないでしょうか。最近、ジャーニーズ関係の問題を社長も認め謝罪する
ような事がありました。大手マスコミもなぜ当事者が生きていた頃に追及をして
いかなかったのでしょうか。これは、20年近く前に裁判でも決着がついている事
です。やはり、芸能界においてのジャーニーズの力に屈服し、触れないでおこう
となった事がようやく、海外の報道から明るみになっているという状況です。
いずれにしても、組織が大きくなればなるほど又、その権威や力が強ければ
強いほど同調圧力も津波のように力を増していくように思います。
基本的には、私自身は会社においても社会においても、同調圧力から脱却する
スタンスで動いています。とはいえ、前述したように何でもかんでも反対する
わけでもありません。是非、令和の時代に「天邪鬼的思考」が蔓延していく
事を望んでいます。
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