こんにちはescapeです。
「あしたのジョー」の「あした」については、前回書きましたが
カテゴリータイトルの「あしたのために」というのは、どこからきているかといえば
これは「明日へ繋げる準備」という意味で私は捉えています。漫画では、主人公の
矢吹丈が少年院に入れられてしまいます。そこで、ジョーの身体能力にほれ込んだ
丹下段平は直接会って指導ができないためハガキを使ってジョーに通信教育を行い
ます。そのハガキのタイトルが「あしたのために その1 左ジャブ」という感じで
続いていきます。最初は、指導を押しつけられそもそもグレて反抗するジョーにとって
は、人から教育を受けるということ自体が受け入れられないのです。最初は、そのハガキ
も破いてしまうのですが、独房に入れられたジョーが暇を持て余しついでにハガキの通りに
左ジャブを練習し始めます。すると、風を切る音がして明らかに自分で自己流でだしていた
パンチと違う事に気づき独房の中でひたすら練習をし始めます。ここでの学ぶべきものは、
「何を学ぶにも自分でその気になると身につく」という事と「自己流には限界」があるという
事ではないでしょうか。勉強しかりビジネスしかり、まずは「経験値のある人のいう事を素直に
受け入れ真似をしていく」という事ではないでしょうか。「学ぶ」は「真似る」からきている
言葉と誰かが言っていました。私もそう思います。やがて、この練習成果は独房を出され相部屋に
戻された時にそこにいる大柄なボスの西と闘う事で成果がでます。
左ジャブの練習も兼ねていたので、ハガキの文言を唱えながらパンチを繰り出し、西にクリーンヒ
ットしていきやがて西は倒れてしまいます。この、西という脇役はその後ジョーと同じく段平の
ジムに所属しプロを目指していく友人のような存在になります。ライバルではないのです。体格も
違いますが、そもそもが同じジム同士の対戦ができないというルールからでもあったりします。
この後、この乱闘が原因で一段階上の少年院に2人は送りこまれてします。
そこでのボス役でもあり、ライバルでもある力石徹というボクサーに出会います。
力石は、観客のヤジから殴ってしまい傷害事件で送りこまれている状況でした。
従って、力石はプロのボクサーなのです。少々、年齢設定に無理があるようにも
思いますが、細かい部分は昭和は気にしてはいけません。ジョーが少年院を脱走する
ところに力石がそれを阻止して脱走が失敗するところが2人の出会いになります。
その行動に腹をたてジョーが力石に殴りかかります。周りからは、無謀な喧嘩と思われて
いましたが、ジョーの左ジャブが当たりまくります。それに力石も驚きながらも、ジョーが最後に
とどめの一撃を出すときに、自己流のパンチを繰り出し逆に力石から強烈なパンチをもらい失神
して負けてします。その時の力石のセリフに「はじめのジャブがプロ級なのに後のストレートは
ど素人だとは。わからねぇ」という言葉を残します。これに感化され、今まで世話を焼いてきた
段平を毛嫌いしていたが,ここからがボクシングのコーチとしても認めハガキを送ってくれという
ことでボクシングや練習に一段のめりこんでいく事になります。きっと、自己流はダメだという事
が身をもってわかったのとプロの力の違いや練習したものは一部通用したという事がジョーにとっ
て理解できた場面ではないかと思います。
これから、プロになり世界チャンピオンを目指していく事になる、その準備がまさにこの「あした
のために」にこめられているのです。
ここで重要と私が思うのは、将来の果てしない目標であっても、「積み重ね」の準備によって
成就していくものだという事です。勿論、全てが望み通りにはいきません。ジョーも最後は
世界チャンピオンになれませんでした。しかし、この漫画の良さは当時の漫画では主役や
ヒーローは「常勝チャンピオン」的にほぼ負けないことが前提でした。しかし、ジョーは
度々負けるのです。負けの美学も伝えたかったのだと思います。それは、人生においては
成功より失敗の数の方が多くあり、それをどのようにキリ抜けながら生きていくのがある種
人生でもあると思います。その辺の事もこの漫画を読むと考えさせれる事があります。
私もジョー並みに打たれながら、負けながら今に行きついているところもあります。
なんとか、失敗を繰り返しながら50代に行きつきました。
最後、KO負けにならないように50代に残りのエネルギーを注いでいきたいと思っています。
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