昭和の怪物とは

昭和ノスタルジー
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こんにちは、escapeです。

昨日、甲子園の決勝があり仙台育英高校が優勝しました。

結果的に今年は、高校野球を1度も観なかったので経過がわかりません。

逆に東京の予選段階では、母校の行方などを追っていたりもして

むしろ予選の方をよく注視していたように思います。

毎年甲子園ではよく、「怪物」というような感じで取り上げられる選手も

多くいたりもしますが、40代であれば清原や桑田、松坂あたりが怪物という

評価というか、甲子園をわかせた選手という事になるでしょう。

50代以上であれば、恐らく甲子園での怪物は「江川卓」という回答にほぼ

なるのではないでしょうか。私が観ていた時には、すでにプロ野球で活躍を

していた頃ではありますが、甲子園ではその存在はひときわ、目立ったもので

もあります。江川選手は、栃木の作新学院からの出場ではありますが、

在学中に優勝までいった事はないのです。確か、準決勝までが最高だったはずです。

当然、いくらピッチャーが良くても打線が厳しければ優勝までは厳しいでしょうし、

特に甲子園の日程からもエース級が2人ほどいないと1人で全て投げ切るのも大変では

あるでしょう。その辺が、優勝までに届かない点だったかとは思います。

今でも、youtubeなどに動画もあがっていますが、江川選手が巨人で投げている

球は球速は140キロとかでの表示ですが、本当に球がホップして浮いているような

投球です。スピードについては、以前は終速地点のスピード表示ですが今は初速表示

に変わったそうなので、そこで大きくスピードが変わります。今の速度に換算した番組

もありみてみると、今のスピード表示だと160キロほどのようです。江川選手は、プロ

でもカーブとストレートの2つしか球種がなく、ケガもあり9年ほどしか活躍していません

が100勝ほどしています。この球種だけでやっていくというのは、いかにストレートが並み

外れているかということではないでしょうか。そして、江川選手自体も一番球が速かった

時期は、高校時代といっています。そのレベルで高校時代投げたら無敵ではあります。

ノーヒットノーランも9回とか完全試合も2試合など、とにかく高校時代の記録が

すごいのです。予選でも被安打2という記録もあり、点数以前にヒットを打つこと

自体も難しかったという事でしょう。また、小さい頃からリトルリーグやイチロー選手の

ように英才教育的に練習をしていたわけでなく、川で石をなげて肩をつくったと言われています。

野球自体は中学から始めたそうですが。当然、今のようにネットも何もない時代ですから

栃木に怪物がいるという評判はあったものの、多くの人は甲子園で観るまではどういう

レベルかは当然わからない訳です。そんな中、高校3年の甲子園出場で全国的にも始めて

観られることになります。その投球を見ようと1回戦から超満員の観客となったそうです。

そして、対戦相手は北陽高校(大阪)という出場高校の中で一番打率の高い高校と対戦

します。これは、有名なエピソードですがその1番から4番の選手まで全て空振り三振です。

5番の選手が、ファールを打った時に場内からどよめきと拍手がなったそうです。

それほど、バットに当てる事さえも難しかったという事です。ここまでの選手は

後にも先にも江川選手しかいないではないでしょうか。結果、この試合は19奪三振

での完封勝ちとなったのです。因みに、江川選手の怪物とは、確かに記録的な部分

もありますが、耳が大きい事から当時の藤子不二雄アニメの「怪物くん」からネーミング

をされたという事のようです。

しかしながら、いわゆる「空白の1日」事件から江川選手はダーティーなイメージ

根付いてしまいます。この事件を簡単に説明すると、野球協約の穴を突いた戦略で

前年の交渉権が空く1日があったのです。

そこで、巨人が勝手に契約をしてしまうという前代未聞の契約でした。

当然、他球団は無効を主張し再度のドラフトで阪神が交渉権を得ました。そして、当時の

巨人のエースであった小林投手とのトレードをして巨人に入団したという異色の経歴でも

あり、当時世間からは大バッシングを受けていました。これは、進学を表明し巨人に入団した桑田

選手の比ではないほどの批判がありました。また、入団した巨人でも良く思っていなかった選手も

多かったようです。いずれにしても、プロ入団までにここまでトラブルになった選手も珍し

くもあり、それだけの逸材であるのも間違いがなかったのでしょう。

因みに江川選手は競馬好きでも有名で馬を持っていた時代もありました。

レディゴシップという馬でしたが、オープン馬までいきましたが馬名はこの辺の

ゴシップから名付けたのでしょうか。

今は、大谷選手など「怪物」といわれるような選手もいますが、やはり怪物とは

良くも悪くも規格外の部分があるからこそ、怪物であると思います。

そういう意味では、江川選手はクリーンな面とダーティーな面を両方持ち合わせた

正に「昭和の怪物」ではなかったのではないでしょうか。

 

 

 

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