こんにちは、escapeです。
昨日は、仕事も休みだったため自分に課した宿題を
こなしていた状況でした。優駿のエッセイ賞に再度
応募をしようと思い、ストーリー作りをしていたのです。
優駿エッセイ賞とは
中央競馬の広報雑誌に「優駿」という雑誌があります。競馬を
している方であれば、本屋さんなどで何度か目にされている方も
多いのでないでしょうか。創刊から80年以上も発刊されていおり
歴史のある雑誌でもあります。そこで、エッセイ賞というのを年に
1度公募をしています。原稿用紙にしたら10枚程なので、長編の
ものでもありません。私が、この存在を知ったのが調度3年前程
でした。恐らく、賞自体は20年以上続いているようです。
最初は、何か競馬ネタの文を送れば良いのかという感覚で送って
みたところ、見事に落選でした。昨年あらためて、入賞作なども
読みながら、自分に何が足りないかを分析しての投稿でした。
ここは、受験における過去問同様に、対策を考える必要がありと自分でも
思いました。
昨年のブログにも書きましたが、これが運よく1次選考を突破できたのです。
毎年、150篇ほどの投稿があり、1次を突破するのが大体1割の15本です。
この中から入選作品が8本ほど選ばれます。
それなりに、プロのライターも応募している中で昨年1次を突破した事は
自分なりにも少しの自信に繋がりました。
そして、今年も懲りずに3度目の挑戦をしてみようという心構えです。
毎年8月のお盆前が締め切りとなっており、できれば7月末には完成させて
おきたいところで、昨日、色々ストーリーを考えていた次第です。
自己流にこそ価値がある
私は、基本的に誰かに本の書き方などを教わった事はありません。
そして、色んな小説などの賞もあるでしょうが、そもそも習ったから賞が
獲れる事ではないと思います。先日、とんねるずの石橋さんと
伊集院光さんと「お笑い」についての対談がありました。
とんねるずというのは、そもそも師匠がいません。素人参加の
番組からのし上がってきたのです。私世代には、調度ストライクの
芸人さんです。そこで、吉本などのお笑いの学校で「お笑い」を
習う事に疑問視していました。そもそも、学校が嫌いな人が芸人に
なったりするに、なぜ学校に行くのかという非常に的確なコメントです。
「自己流」だからこそ「価値」があるのではないかと思ったりします。
今は、少し調べれば色んな事がわかる時代です。だからこそ、何でも
「聞いて回答を得る」という事が多くなっている気がします。
勿論、それを活用すべきものと自分で考え結論を出していく事は
切り分ける必要があります。これは、仕事でも競馬でも何でもです。
どこか、自分のオリジナルがないものは、本質をとらえきれないので
ないかと私は考えています。従って、競馬などの予想も誰かに乗ると
か何かのデータで買うという事は私は基本しません。やはり、自分の
独自の視点で予想して的中するから楽しさも倍増するのではないでしょうか。
また、昨年たまたま仕事関係の本を出版する事ができました。
これにしても、素人が本を出すというのは非常にハードルが高い事です。
売れているいないは別にしても、私は自己流で本が出せたという事に非常に
価値がある事だと自己満足的には思っていたりもします。
色んな意味で「自己流」という事をこだわりながら生きているつもりでも
あったりもします。
アイデアは難しい
漫画にしても小説にしても、あるいは歌にしても本当にこのような
「創作活動」をされている方を私はリスペクトします。
考えても、なかなかアイデアもでてこないものです。
これをコンスタントに出しながら、仕事にしているというのは
本当に大変な事ではないでしょうか。
さながら、本日は猛暑の中あえてエアコンはつけず
扇風機を回しながら色々ストーリーを考えていました。
さながら、昔の漫画の「トキワ荘」のような蒸し風呂状態でした。
どこか、楽な環境じゃない方が良いのではないかと考えたつもりです。
一応、大まかな骨格が決まり、書き始めてみました。
原稿用紙のワード打ちではありますが、やはり実際に書き始めた
方が文章というのは書けるような感じがします。
昨年も、ストーリーだけ大まかに決め、後は書きながら原稿を
すすめた記憶があります。全く、今の仕事と関係ない事ではあり
ますが、どこかこういう事にチャレンジしている方が気が休まる
ような気分でもあります。とはいえ、締め切りのあることなので
最後は、どこか急き立てられる様に書きながら、「なんで、こんな事
を始めたのかなぁ」などと自問自答をする事にはなるのですが・・。
誰からも強制されたわけでもなく、収入に結び付く事でもないことを
始めたのかなどという矛盾との心の葛藤のようなものです。
とはいえ、応募するにあたり昨年は越えてみたいという欲もでてきたり
などと複雑な心境でもあります。
直接的ではないでしょうが、自分のどこかに何か役立っている気はします。
何でもすぐ効果があったり、すぐ役に立つ事ばかりをしないという事に
「生きていく肝」が隠されているように思ったりもします。
やや、哲学的な話にもなりましたが、何とか完成を目指し応募する
ところまでは、こぎつけたいと思います。
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