こんにちは、escapeです。
昨日は、定例の飲みでしたが、たまたまアルバイトの
店員さんとも仲良くなりました。現在、大学4年生で
来年から就職が決まっている様なのですが、色々相談に
のって欲しいとの事でライン交換をしました。
最近の若い子にしては、貪欲なところは評価できそうなのと
私も他人に偉そうにアドバイスをする立場でもないのですが・・。
そんな、勉強中の私でもありますが本日は競馬からの学び
です。
データに支配されない
競馬には、様々なデータがあります。私は、あまりデータはジンクス
位にとどめてはいます。ただ、配当面は傾向としては捉える事はよく
あります。やはり、波乱傾向のレースは続く事も多いので。先週の
函館記念は、見事に傾向とは逆の結果となりましたが・・。
データでよくあるのが、過去の傾向から消去法で消していくものです。
過去に牝馬はきていないとか外枠は消しなどというものです。
しかしながら、過去には当てはまったものもそのレースになると
途端にデータが例外的に通用しなくなる事も多くあります。
データは、あくまで過去の集積であり、未来を決めるもので
は無いという事がわかるでしょう。よく、仕事においても色々
データの分析を好む人もいます。勿論、ある程度は把握する必要は
ありますが、それだけでビジネスがうまくいくという訳でもない
のも現状でしょう。どこか、そういう後ろ盾があると安心できる部分
があるからなのかもしれません。ビジネスで言えば、仮に問題が発見
された時に、それをどう行動に移し改善していくかが重要です。
問題だけを分析しても、評論家になってしまうものです。
データに支配されない事は、競馬をしていると良く理解ができます。
理屈を超えるもの
何事も理屈通りに事が進むという事はないでしょう。
特に、人生は色々な「偶然」が重なり合い、形成していくように
想ったりもします。かといって、行き当たりばったりというのは
よくありませんが。競馬をしていれば、必ずこの理屈通りにいか
ないという「壁」に常に当たります。
恐らく、理屈通りとなれば人気順の結果にもなるでしょう。
後で振り返っても、なぜこの馬がきたのか説明がつかないことも
多くあります。従って、世の中には説明のつかない事は沢山
あるという事ではないでしょうか。すべてが科学的に解明が
できる訳でもありません。それこそ、宇宙や人類の誕生でさえ
説明がつかないことも多くあるのではないでしょうか。
また、そもそも解答はないかもしれませんが、それを解明していく
事も自体が、文明の進化に寄与していることでしょう。
競馬もまた、全てのレースを的中し、説明がつく事もないでしょうが
皆、ある意味完璧を目指し、毎週毎週馬券と格闘しているのでないでしょうか。
従って、理屈を超えるものが存在するというのは、あくなき探求につながって
いるようにも思います。
非効率の魅力
一般的に、何かを身につけるためには一定の時間を要すれば
勉強はじめ身につく事も多くあります。
しかし、競馬においては完全にこの時間軸との矛盾があったりします。
特にG1レースなどで1週間頭を張り巡らしても、的中はせず何気なく
当日ひらめいた馬に平場のレースで的中したりする事も多々あります。
競馬においては、時間をかけて予想をしたから的中するわけでもあり
ませんが、その予想のプロセスにおいて楽しみがあるのは十分に理解できます。
このように見ていくと、競馬というのは非常に効率的なゲームになって
はいなく、かなり非効率な事と背中合わせでもあります。
ただ、私は物事の全てを「効率化」だけを求めていくと、非常につまらない
ものになる事を競馬を通じて、学んだようにも思います。
私の世代ではないですが、昔活躍された競馬評論家に宮城昌康氏という
人がいました。「競馬ほどいい加減なものはない」という有名な名言
があります。この言葉の真意はどこにあるかは、私は「だからこそ面白い」
という言葉が隠れているのではと思ってしまうのです。
もし、自分に置き換えた場合に、どこかいい加減な部分は持ち合わせており
それを許容しながら生きていく事が必要ではないでしょうか。
全てが、完璧に効率的にできる人というのは、ある意味「つまらない人間」
という事にもなるのかもしれません。「脆さや不完全さ」があるから、人間
らしいのではないでしょうか。そんな大らかさをもって、今後も競馬に対峙して
いきたいと思います。
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