こんにちは、escapeです。
子育てを経験された方であれば、何も苦労なく問題なく育てることが
できたという人は稀ではないでしょうか。そこには、必ず大小問わず
色々問題や葛藤などもあったと思います。私も2人の子供がおりますが、
決して順調という訳ではありませんでした。不良に走ったりなどという
事ではありませんが、それでも「普通」にというのもそれなりにハードル
もあります。「血は水より濃し」という諺があるように、どんなに仲の良い
友人がいたとしても、「血縁」という繋がりはそれ以上に強いという事になります。
私自身も血縁関係のある身内に裏切られたこともあり、実質「絶縁」状態では
ありますが、中々縁がきれるものでもありません。そして、私は今子供と離れ
離れで暮らしているので、頭の片隅にはやはりいつも「元気にしているかな」
と気にかけてしまう「親心」はあったりもします。私自身は、子供に対して
こうなって欲しいとか大きい会社へ入れなどという期待は昔から持ち合わせて
いませんでした。妻はどう思っていたかは不明ですが、基本的には親が早く
死ぬ以上、「自立して自分で生きて欲しい」とこの1点です。そして、兄妹がいるので
「どちらかが困っていたら助けてあげる、大人になって、兄妹喧嘩をするな」と
いうだけが、私が親として子供に対しての要望でありました。これは、私自身が
姉弟関係がうまくいかずこじれた事にも起因しています。本来の兄弟とは親を別
にすれば、一番近い年齢まで一緒に生きていく事にもなるでしょうから。
それ以外は、犯罪などに手を染めなければそれで良いという教育方針で今に至っています。
子供は子供の人生ですから、親があまり関与しても良くないとは思いますが。
最近は、過干渉的に親が就職説明会や婚活などにも顔出していくなど少々行き過ぎの
保護者もいたりするのをニュースなどで目にします。
世間の親は、もう少し厳しかったり期待があるのかも
しれませんが・・。
そして、この一見バラバラ感がかえって絆を深めている気もします。
例えて言うならば、太陽系の惑星がしっかりバランスをとった配置で構成
されているように一定の距離感も重要ではないでしょうか。
どちらかといえば、一つ屋根の下で暮らしていた時のほうが、色んな喧嘩じみた
事も多かったように思います。近いがゆえに、目につくところがあったりしたのか
しれません。また、仕事の関係もあり同居していた頃は、あまり子供とも私は
話していなかった気もします。
長男は、すでに社会人3年目となり独立していますが、「血は争えない」とも
言いますが、息子も「競馬」を数年前からするようになりました。
学生の頃は、子供も「このオヤジは週末に競馬ばかり」とネガティブに
とらえていたようですが、始めるようになり余計に理由も理解したようです。
最近は、社会人にもなり競馬の話に始まり、仕事や人生論的な話も多く相談
するようにもなり、夜な夜な週に何回も数時間電話で話す事も多くなりました。
見る人によっては、底辺親子のようにもみえますが・・。
よく娘と母親の関係で多いですが「友達親子」という感じではなく、内容的には
師匠と弟子みたいな話になっています。それは、社会に出る事で余計に厳しさ
や難しさを本人も体感しある種の「リスペクト」というのが親に生まれたの
ではないかと思います。私もそんなに高収入や大手企業に勤めるようなサラリーマン
ではありませんが、そんな存在でもどこか「尊敬」できる部分ができた事は
うれしいところです。ある意味、私などは、人生という飛行機にダッチロール
を繰り返しながら、まだ墜落していない飛行機のようなものです。きっと、そんな
部分が子供には違う意味で光って映っているようにも思います。
「親子の絆」というのは、単に仲良しな友達の延長という事を目指すよりも、
親がしっかり「リスペクト」される存在になる事でもあります。
そこでの関係が成立しての「絆」ではないでしょうか。
やはり、親の背中をみせるというのは大切な事ではないでしょうか。
子供は、親が思う以上によく観察もしているものでもあります。ある時期は、
反抗や喧嘩にもなるでしょうが、最終的にそれが伝わる時期がきっとくると
思います。その時こそが、はじめて「絆」を結べた存在になるのではないかと
個人的には思います。
残念ながら、まだ娘の方は学生なので、そこまでの関係を構築できていないように
思います。そして、いくつ年を重ねてもやはり自分の子供は子供と思ってしまいますね。
いずれにしても「生き様」だけは、最後まで見せて生きていければと思います。
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