こんにちは、escapeです。
昨日は、定例の飲み会でした。私は呑むとあまり、食べない方なの
ですが、昨日は帰宅後どこか小腹が空いてしまいカップ麺に手を
だしてしまいました・・。一番、太るようなパターンであったりも
しますが・。さて、昨日に続き競馬からの学びを書きたいと思います。
昨日の記事はこちらから
惜敗も負けは負け
競馬をしていれば、いつも僅差の勝敗という事が多くあります。
「ハナ差」や「クビ差」の負けなどで、馬券をとり逃したことは
数限りないでしょう。逆もしかりで、小差で勝てたことも有るのも事実です。
一見、わずかな差ではありますが、これは単に「運」という事ではなく
明確な「壁」が存在していると思っています。
G17勝をした名馬でもあるテイエムオペラオーという馬がいました。
この馬の2着にはほとんどメイショウドトウという馬がいます。
対戦成績も9回対戦しメイショウドトウがオペラ―に先着できたのは2回
しかありません。そしていつも着差は、わずかでした。
宝塚記念でようやくメイショウドトウがテイエムオペラオーに勝った
のですが、これ以外はほぼオペラオーの2着でした。
やはり、ここは見た目はわずかでも大きな「壁」があったのだと思います。
そして、オペラオーがいなければ、ドドウの方が歴史的な名馬になって
いたのかもしれません。そこは、巡り合わせともいうべき「運」かも
しれません。しかしながら、この僅かな差は「実力」でもあり、「運」
ではなかったことは、戦績からもわかるのではないでしょうか。
過去への決別が重要
どうしても、このような惜しい結果があると「過去」に
こだわり「決別」できない事も多くあります。
仮に大枚をはたいて、馬券が惜しい結果で外れたとしても
それを悔やんでもお金が戻ってくる事はないのです。
今年のダービーのソールオリエンスは2着ではありました。
横山武史騎手も若い年代でダービーを2着しているのは大したもので
もあります。横山騎手は、エフフォーリアでハナ差の2着でダービーを
逃したことがありました。今回もまた2着です。
私は、何かの会見でエフフォーリアの2着が悔しく、それを糧にという話が
ありました。これを聞いた時に、当分ダービーは勝てないのではないかと
思ったりもしました。糧にすること自体は悪くはないと思いますが、
いつまでも「過去」を引きずっている事がイマイチに思ったのです。
確かにダービージョッキーになるのは、非常に難しい事でもあり価値の
ある事ですが、過去の呪縛やジンクスなどにとらわれていると獲れるものも
獲れなくなると思うのです。武豊騎手が、そのような過去のレースの着差
について、いつまでも気にしているなどというのはほぼ見たことがありません。
だからこそ、色んなジンクスなども乗り越え、ダービーも6勝していたり
オグリキャップの復活などいうレースができているのではないでしょうか。
それだけ、「過去」との決別ができているのではないでしょうか。
未来こそが大切
過去の栄光にすがる人も多くいます。よく、未だにバブル時代は「これだけ
儲かった」や以前の会社ではこれだけの役職にいたなど。中には、学生時代
に○○大学に合格できなかったことをずっと社会人になっても引きずっている
人もいます。学歴コンプレックスを持つと言われる人は、このような傾向が
多い気がします。入試にしても1点で落ちる人や会社でも最終面接まで行くも
惜しくも不採用などという事はあるでしょう。
私なども、決して志望通りの学校や会社にいけた訳でもありません。
しかしながら、そのような「過去」にこだわる事はほとんどありません。
それが、その時の自分に「与えられた結果」だからです。それを受け入れ
次にどうするかという「未来」を考えた方が建設的です。
当然、人生は選択の連続でもあり、常に自分の選択が「正解」にならない
事も多々あるでしょう。しかしながら、その選択を誤ったとしても、「過去」
にこだわっている以上は、私は「明るい未来」は訪れないと考えています。
皆さんの周囲にも、先程のバブル話ではないですが過去の栄光を引きずっている
人も多くいるのではないでしょうか。
その人が今でも活躍している光景は少ないのでないでしょうか。
競馬をしていれば、そんな惜敗という事をよく味わうわけですから、
人生においても「惜敗」を忘れ、次のレースに向かう事が大切です。
カナダで精神科医でもあった有名なエリックバーン氏の名言で締めたいと思います。
「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」の言葉を
心に刻んでいます。
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